この春光院というお寺ですけど |
創建が1590年です |
もともとは堀尾家といいまして |
松江の初代藩主だった堀尾義晴公が作ったお寺です |
ただ最初は春厳院という名前でした |
春厳院というのは堀尾義晴公の長男金介公という方が |
小田原の合戦で戦死なさった母台を伴うために作られたお寺です |
そのお寺が18世紀の初めぐらい |
石川家という大名のお寺に変わります |
その石川家という大名が |
一世の亀山という場所の藩主をしておりましたので |
この春厳院の庭が伊勢神宮を用いた庭になっております |
ですから伊勢の下空の社と内空の社の代わりに |
天の岩戸を作って |
そこの奥に天照大神がいらっしゃるという形の庭になっているんですよね |
だから神道と仏教がちょっと混じった |
それは明治時代まで当たり前だったんですけど |
このように本堂と |
お寺の本堂と |
その正面の庭に神道と仏教が同居しているというのは珍しいお寺です |
お寺という場所ですよね |
禅寺の存在意義ってどういうことかな |
一つはですね |
このお寺ができたというのが |
この春厚院 |
特にそうなんですけど |
430年前です |
ほとんどのこういうお寺というのがですね |
だいたい150年以上前にできた建物の中に |
建物がいっぱいあるんですよね |
それはどういうこと |
なぜそこが重要になってくるかというと |
明治時代になる前というのは |
日本の伝統的な個人の捉え方 |
自己の捉え方というのは人だったんですよね |
だからいろんなものが絡まりあって |
ある状態でやるという |
そういう自分はそういうものなんだという |
そういう状態なんだという概念で育った人たち |
考えてみると |
どういう人たちがこのお寺を作ったんだろうか |
このお寺にある失礼というものがいっぱいあります |
襖絵とかですよね |
失礼という考え方ってアートとは違うんですけど |
言ってみればこのお寺に来ることによって |
お寺というところには失礼というものがいっぱいあります |
飾られた襖絵とかそういうものがいっぱいあるんですけど |
じゃあ失礼とアートって |
言ってみればその失礼というものが重要になってくるのは |
失礼って自己主張してこない |
失礼の中で言うと人間というのはその一部になれる |
やっぱりそういう感覚ってものを |
体で感じながら瞑想できる場所というのが |
禅寺じゃないかなという場所ですね |
私はですね父が住職をしていたので |
ここのお寺で育ちます |
この春光院ですね |
私の一族が来たのが |
ちょうど明治時代の初め |
江戸時代の終わり頃とは言われていますが |
曹祖父のおじがここの |
住職ではなかったんですけど |
ここの留守屋教をしておりまして |
曹祖父がですねここに入って住職になります |
川上小山というのが私の曹祖父です |
彼はですね有名な禅僧だったのと |
絵を描いていたりとか |
あと一番有名なのがこの大蔵経という |
すごい長いお経があるんですけど |
それの作品を作ったことで |
大正天皇から学校をいただいたりとか |
銀杯をもらっています |
その後ですね祖父と父が継ぎまして |
私もここのお寺のお世話をさせていただいております |
禅竜って結構すごい名前だねって言われるんですけど |
禅という漢字がですね |
私の名付け親である父親の師匠の |
聖名から来てるんですよね |
で龍というのは私の祖父が川上龍山と言いました |
龍の山って書く |
その龍山の龍をもらって |
禅竜っていう風にはなっています |
私の父がですね |
両親ともですね |
そういう無理やりお寺を継ぐとか |
そういうことを押し付けなかったんですよね |
自然と父がここで法事を行ったりとか |
お彼岸とかお盆なんかの行事を行ったりとか |
そういうのは見ていましたが |
強制してお経を覚えなさいとか |
お寺の子なんだからこういうことをしなさい |
っていう風に言われたことは |
実はないんですよね |
小さい時はですね |
庭の方なんかでよくセミ取りとかをしたりとか |
お寺の裏側 |
昔畑があったんでそこでバッタとか |
穴を掘ったりとかして遊んでたりとかした |
ことがいっぱいあります |
小学校と中学校はですね |
公立の学校行きまして |
高校はですね |
たまたまなんですけど |
仏教関係の高校に行きました |
ただ仏教関係とはいえども |
日本の場合は普通の学校ですんで |
そういうとこで高校生活を過ごしました |
高校時代にですね |
実は高校2年生の夏にですね |
交換留学というか交換試合で |
ワシントン州の方に行かせていただきました |
最初はスポケンでその後シアトルだったんですけど |
アメリカに行っている間にですね |
言葉は英語全然できなかったんですけど |
交換留学生先のホストファミリーなんかと一緒にいるとですね |
なんかここ面白いかもというそういう経験がありまして |
一つ思ったのがやはり |
お寺と私が切り離されたんですよね |
ある意味京都にいると |
僕はどこ行っても春光院の私なんです |
ただそれのコネクションが完全に切り離されたことがありまして |
言ってみればなんか初めて自由になったというか |
自分になったというその感覚があったんですよね |
だからそのアメリカ面白いかなと思ったんです |
言葉はしゃべれないんだけれども |
とりあえず留学してみようとその頃思い始めまして |
大学からですね |
アメリカの方に行っております |
大学からと言いましても最初は |
語学学校ヒューストンの方で行きまして |
その後にですね |
アリゾナ省立大学の方に行っています |
アリゾナ省立大学ではですね |
最初は信任学を取っていたんですが |
信任学を取るとですね |
哲学か宗教学どちらかを取らないとダメ |
両方取らないとダメなんですけど |
その時に最初にお寺で育っているんだから |
仏教ちょっと取ってみようかなと思いまして |
仏教を取ったんですね |
実はですね |
仏教というものを大学に入ってから |
初めて学問として学びました |
体で言ってみれば |
お寺で育っているわけで |
仏教というものは体験はしているわけですよね |
でも学問として学ぶというのは |
またすごい違った新鮮さがありまして |
あれこれ面白いかもっと思い出しました |
ちょうどその頃ですね |
9.11というか9.11事件が |
アメリカに起きます |
その事件が起きた時にですね |
私その宗教と政治で |
その他のつながりというものが |
非常に興味を持ち出しまして |
そこからですね |
信任学から宗教学の方に専攻を変えまして |
最後は宗教学で大学の卒業をしました |
アメリカにいた時にですね |
アリゾナにいた時に |
僧侶になってもいいかなと思ったんですよね |
なぜかというと宗教学をやっているわけなんで |
もちろんその学問として宗教というのは |
どういうものなんだろうか学んでいるわけですよね |
その時に |
確かに宗教として |
宗教を社会現象と見て |
学問として学んでいくというのは |
いいことなんですけど |
じゃあ実際中に入ってやっぱり |
体験したいというのがありまして |
体験したいって |
もうおてれ育っているんだったら |
それだったらお坊さんになったらいいんじゃないかと |
そういうことで日本に戻ってきたのと |
あとアドバイザーからですね |
実はその |
せっかくだからお坊さんになったら |
大学院いろんなとこ行けるんじゃないか |
というのも言われたこともあります |
それが理由です |
日本にですね |
帰ってきたのがですね |
2004年の12月の終わりなんですよね |
でその後にですね |
実はその2005年の3月からですね |
宮城県にある |
随岸寺という場所の |
修行道場に行きます |
まずはアリゾナからこう |
宮城県に行くわけですから |
しかも3月だとまだ雪降るんですよね |
その気温差ですごくこう |
なんでこんな寒いんだろうって |
寒さでもうちょっと |
泣いちゃった時もあったんですけど |
あとその床の生活です |
アメリカに7年ぐらいいたので |
体が固くなってたんですよね |
床の生活っていうのがなかなかできずに |
日本に帰ってきた時はアグラを描くのもちょっと大変だったんですけど |
そういう状態で修行道場に掘り込まれたので |
最初は本当にきつかったですね |
修行道場ですね |
私は丸1年行きました |
他の方3年行かれる方もいらっしゃるとかするんですけど |
1年目っていうのが一番しんどいのかなっていうのと |
父親が戻って |
住職 |
お寺の住職が戻ってこいって言ったら戻ってくる形になるんですけど |
でもある意味出家したってことは |
そこからずっと修行が続いてるってことになります |
帰ってきてからですね |
修行道場行って1年間行って戻ってきて |
本当だったらすぐに |
水寺という儀式を行って |
お寺の副住職とかに任命される儀式があるんですけど |
任命とか副住職とか住職になる資格をもらう儀式があるんですが |
それを実は私1年間しておらず |
その間いろんなことをアメリカに戻ろうかと |
いろいろ試行錯誤というか |
いろいろ考えてたんですよね |
ただですね |
その間にですね |
いろんな方がお寺に来て |
まず最初にこのお寺に |
英語で座禅できないかということで |
私の知り合いだった方がですね |
ロサンゼルスからお客さんを連れて来られまして |
その方に座禅を英語で教えたわけなんですけど |
その経験がちょっと面白かったのと |
ここに出たいろんな人と意外と会えるんだな |
ということになりまして |
じゃあこのお寺の副住職にも |
責任を持ってなってみようかなということになりました |
2022年の年末に |
私は父の後を継いで |
春婚院の住職となりました |
そしてこれが現在の私の自己紹介です |
そう自我紹介よりも少し長く |
より複雑ですね |
このような自己紹介は |
語り出すと時間がかかるし |
その語り口も時間ともに変化していく |
新しい要素が登場し |
そして消えていく |
曖昧な因果関係の連鎖が |
突然顕著になったり |
亡くなったりします |
事故とは常に変化をしていくもの |
それは川の流れのようなもので |
川というものは |
捉えることがなかなかできません |
川を捉えようとして |
手を入れても |
毎回違う水になります |
川と状態は |
常に変化をしています |
自らもそのようなものです |
我々の信念というものも |
時によって |
正しいように見れたり |
間違っているように見えたりします |
そして自分の身体も |
刻々と変わっているわけです |
辞める時もあれば |
健やかなる時もあります |
そう |
我々は常に |
刻々と変化をしている状態なのです |
この講座を通して |
皆さんが |
自分の新しい捉え方というものを |
手に入れることを |
私は願っております |
自分はこういうものであるという |
固定された考えに |
執着するのではなく |
自分というものが |
常に変化をしているものである |
それは捉えたと思った瞬間にも |
変化しているものであるというように |
気づいていただければ |
ありがたいです |
この講座を受けることにより |
皆さんの |
自己の捉え方 |
自己紹介 |
それがどのように変わるのでしょうか |
楽しみにしております |
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