Lesson Transcript

例えば、私が常に考えているというか 常に疑問を持って接しているものって
じゃあ禅僧としての方って何なんだろうかって
じゃあ禅僧として生きていく 禅僧として仕事をしている 禅僧として話している自分がいるわけなんですけど
そこで型って何なんだろう これを持ったら禅僧であるけど
これをやらなくなったら禅僧じゃないのって 何なんだろうって考えたりするわけなんですよね
伝統文化の中には茶道もそうだし 書道とか武道もそうですけど
型ってのもあるんですよね
やっぱり最初から自分流っていうのは まずないわけであって
いろんな型をその通りやってて だんだんとずれてくるのが
自分の形になっていくというわけです
型を作るってどういうことかっていうと 学問の中でもあると思うんですよね
大学でも例えば経済学を専攻しているとか 心理学を専攻しているって
どういうことかっていうと 経済学の考え方 物の見方っていうものを
身につけていくことなんですよね
心理学っていうのもそうだし 美術史なんかもそうだし
やっぱりそれぞれの見方っていうか やっぱりその学問によって
じゃあ4年間大学行きます それから大学院行きます
ってなった時に やっぱりそれぞれ物の見方っていうのが 出てくるわけですよね
感じ方とか どういうところに注意が行くかってところとか
やっぱりそれって型ですよね
でもそれがない状態で 世の中のことを あーだこうだっていうのを
型なしって言うんですよね
だから何かをやるためには 絶対一つの型を作っていく
でも型を作るって これとこれを学んだから これが型になりましたっていうのはないわけなんですよ
この本を読んだから この分野の考え方とか 物の見方っていうのを学べましたって
人間ってそんなに簡単に 習性とか習慣って変わらないんですよね
だからそこで最低でも1年2年 3年の時間をかけて学んでいく
そこから型ができ始める
でもその型ばっかりに執着してたら やっぱりダメだからその型をちょっと外してみて
違った目線で見るってことも学んでみる
そういうことに幅が広がるんですけど
でもやはりどっかで基準作らない限り
やっぱり物の見方って すごい浅いところで終わってしまうわけなんです
だから型っていうのは非常に重要であるわけだし
やっぱりそこって動きから入っていかないと
やっぱり耳だけから聞いた 本だけ読んだだけでは 知識だけで終わってしまいます
やっぱりそこで動き
やっぱり禅だったら座禅っていうのもそうだし
朝のお経っていうのも重要だろうし 掃除っていうのも重要になってくる
実際このお寺ってものを管理していくってところも重要だと思います
それがやっぱり禅僧としての形っていうものを 作っていくことによって
禅僧の考え方 禅僧の見方っていうのができるのかな
それはいろんな分野で言えることだと思います
春光院もですね 石堤というか浸透式のですね 枯れ山水の庭がございます
で まあこの今存在している 法上の前提っていうのはですね
おおよそですね 200年前に作られたものでございます
でもその200年間ですね 誰かが毎日同じような手入れをしてきたからこそ
今の形として残っていると思うんですよね
で やはりそのある程度の形っていうのは重要なんです
あの やはりその庭の木とか砂利っていうのも
同じようなこの動きをしていかないと 成長も変わってくるわけですし
何かここで特別なことをやってしまうと
この枝の生え方が変わったりとか 苔っていうものが違った
そこで枯れてしまったりとか そういうこともあるわけなので
ある程度決まったやり方で 庭の手入れをしていく
でもやはりそこは 同じ方を守っていくだけじゃなくて
じゃあ気候の変化っていうのもありますし
やっぱりその 例えば200年もあれば
あの 気候変化っていうのもあるわけ
やっぱり今になれば その やっぱり温暖化っていうことが
支えかれているわけですから
やはり温暖化に合わせた 庭の手入れの仕方っていうのもあるわけですよね
でもやはりある程度の 同じような方っていうのはあります
枯山水の庭ですんで 砂紋を引くと
まあ 冷気っていう道具を使って 砂紋を引くわけですけど
やはりその砂紋を引くときって
もちろん手から伝わってくる振動っていうのも重要ですし
目線をどこに置くのかっていうのも 重要になってくるわけですし
ただもう一つですね 耳なんですよね
その音っていうのを どういうスピードで弾いているのか
それともどの深さで弾いているのかっていうのも
意外と音に頼っていたりとかするわけで
そこもやはり重要で あまりそこに気づいてはなかったんですけど
やっぱりその音の違いによって 線の引かれ方が違うなっていうのも
気づいたりとか 最近はしてますね
いろんなことを考えすぎると 線をその砂紋を引いているときって
線がまっすぐじゃなかったりとかするんですよね
あんまりこのまっすぐ引こうとか 注意しすぎていると
思いすぎていると今度線っていうのが スムーズに引けていないっていうか
どっかで途切れ途切れになっていたりとか っていうのが意外とするわけであって
やっぱりその何か動きとか そういう身体感覚だけに注意を持っていく
でも一つばっかりに注意を持っていくと やっぱりそこのバランスが崩れてしまうので
なかなか線っていうのが きれいに引けなかったりとかする
そのバランスってどっかあるんですけど それが毎回変わるんで
なかなかどれが正しいとは言えないんですよね
手入れの部分に関して やっぱりこう 疲れているときとかっていうのは
やっぱりこう なんかやりたくないなっていうのは もちろん正直ありますけど
やっぱりあえてそのふうにやってみると どういう結果になるのかなっていう
好奇心もあったりとかもしますね
なんかそういうことによって じゃあ自分の体調がどういうふうに
庭の出来に影響するんだろうかとか そういうことを考えちゃうタイプでもあるわけなんで
逆に言うと あと体調悪いときのほうが 線がきれいに引けるってときもあったりとかするんですよね
なんでかなって考えるときに 元気だと自分のがが出ちゃうっていうか
コントロールしようってなりすぎちゃうときがある
で 逆に体が弱っていると 周りの状態とかを もっと丁寧に読み込もうとするんですよね
山の事故の話っていうのを昔 登山家の方としたことがあって
その方と話したときに 35歳以下が山の事故が多いと
そういう話になったんですよね
なんか不思議に最初思ったんですけど
若いほうが力もあるし 勢いもあるからいいんじゃないの?と思ったんですけど
若いときのほうが自分のがが出ちゃって 周りのことを聞かなくなる
周りの状況っていうものを そのままで受け止めようとしなくなる
ただ35歳ぐらいになってくると やっぱり身体の衰えってどっか出てくるわけであって
それによって周りのものとか 自分の体の声っていうのをちゃんと聞くようになる
なんかそういうのもなんかこうありますね
だからその体調悪いときのほうが 素直になるときもあります
それが出てくるのが庭の定理かもしれませんし ろくろかもしれないですね

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