Lesson Transcript

瞑想中に隣のお寺でリーフブロワーを使い出したと
その時に瞑想中だとなんだうるさいなやめろっていうふうに思うんですけど
でもそのイラッとしてるっていうのは音のせいなのか
それともそういうふうに自分が思ってるのかっていうふうに
やっぱりこうなんだ焦点を変えてみる
この禅のコースの中で重要なのはですね
もちろんその知識ってのも重要ですよね
本とかで学ぶ今の話から学ぶ
でも禅というのは実践っていうのも重要なんです
だから仏教ってよく言うのが
仏教を学ぶには知識も重要だし実践も重要なんだよと
その2つの車輪が揃ってこそ仏教が学べるんだっていう話もあります
今からですね
その実践的なところをどういうことをすればいいのかってことになります
実践のところですけど
例えば私なんかは大体朝の4時ごろ起きて
本を1時間2時間読むんですけど
その後にですね
その庭の手入れ
先ほど言ったような庭にこう砂紋(さもん)を引いていく
そういう丁寧な動きで感じ取っていくっていうところをやったりとか
もちろんこのお寺ですからお経を読む
お経を読むっていうのももちろん
読むっていう動きっていう中に重要なポイントを当ててまして
内容はもちろんそれは別として学ぶとして読むっていう動きですよね
呼吸とか音とか
それがじゃあ体でどう感じているのかっていうところに焦点を向けたりとかしています
お茶なんですけど
お茶っていうものも
じゃあその言ってみれば
お茶を飲むっていう行動
そしてお茶を飲んだ後に感じるっていう行動ですけど
まずやっぱりこの触る
食感ってものに注意を向けるってとこですよね
ここの食感っていうのが
言ってみればここの中で一貫したテーマになるかもしれないんですけど
ろくろも触るっていう食感で
食感ってものに注意を向けますし
飲むってことも触れるってことですから食感ですよね
庭の線引きなんかも食感になると思います
食感
実はこの食感っていうのが多分
東洋思想の中の中心になるんですよね
西洋思想の場合っていうのは
実は視覚と聴覚が
特に視覚っていうのが中心になるんです
視覚を使って自分を捉えようとする
そうするとですね
視覚ですからもちろん輪郭線ってはっきりしてるんですよね
鏡で自分を見たりとか
じゃあ動画で自分を撮ってそれを見てみても
自分っていうのがはっきりしてるわけですよね
でも食感って触ることを通じて自分ってものを感じ取ろうとしたときに
境界線って曖昧になってくるんですよ
曖昧になってくることによって
自分ってものを感じ取るたまに周りの空気みたいな必要だよね
じゃあその器ってものもどうなんだろうか
器を触ったときに感じる
もちろん器を感じてるわけで
そのときに自分の手も感じてるわけですよね
感じる
触る触られるっていうところのところで
どっちが主でどっちがこの
受け身なんだろうか
でもどっちでもないような感覚っていうのもあるわけですよね
そういうところを感じてもらうことによって
だんだん自分って思ってるものを境界線って
どんどんどんどん解けてくるような感じがあると思います
それがこの事故の拡大ってところにつながってくるんではないかな
言ってみれば自分っていうふうに
自分はこういうものが完結したものであるって思ってるものなんだけど
実は周りの影響っていうものをすごく中に入り込んでるとか
そういうふうに考えられるようになってくると思います
他に私が
これもちょっと非日常な方もいらっしゃるかもしれないけれども
ろくろっていうものですよね
ろくろってものもやっていただけると非常に面白いのではないかと
なぜかというとろくろっていうのは手びねりでやる陶芸とは違って
ろくろが回ってるわけですよね
ろくろってすごく単純な動きを
ただ回転してるだけなんですけど
そこに力っていうものを加えていくことによって
物が形になっていく
でも力を加えるっていうところで
自分がコントロールしに行くとですね
実は粘土がぐちゃってなってしまうわけなんですけど
土がですね
でもそこで何もしないと形にならないわけですよね
そのなんかこのせめぎ合いというか
自分の意思っていうか
自分の言うことを聞いてくれないものの
せめぎ合いみたいなところ
それをどういうふうに受け止めていくかっていう
すごい葛藤があるんですけど
それがなんか陶芸っていうか特にろくろの中には
見出せるんではないかと思って
そういうものを進めています
今言ったような動きというか練習って
修行とも呼べるかもしれないんですけれども
自分を広げるってことに非常に役立つと思うんですよね
まず最後に言ったらろくろなんですけど
自分が言うことを聞く聞かないっていうところって
言ってみれば自分の体だからこうやったら絶対言うことを聞くんだと
思うかもしれないけど
力加減っていうのがやっぱり周りのものにもすごく影響されるわけだから
言ってみれば自分のコントロールできっていると思っている体でも
実は外に対してのコントロールが効かないってことになるんですよね
でもこの外とのつながりっていうものを
どういうふうに求めていけばいいんだみたいなところで
だんだんこの自己っていうものが
拡散されていくような感覚になると思います
あとお茶ですよね
お茶みたいなところでもやっぱり丁寧に入れてて
全てのものを感じていく
感じるってどういうことだ?
触って感じるってどういうことなのかなって
家で簡単にできるって言えば
もちろんその瞑想だと思うんですよね
もちろんその周りがうるさいとかいろいろ言われる方もいらっしゃる
お寺みたいに鈴鹿じゃないって言われる方もいらっしゃるんですけど
一番重要なポイントっていうのが
言ってみればあるがままの状態ってものが
どういうものかってことを知るってことなんですよね
周りでうるさい音がしてたら
それがどういうふうに自分に入ってきてるんだろうか
でもなんでそこで自分はうるさいと思うんだろうか
うるさいって、まあ音は音なんですよね
言ってみればこれたまに学生さんにする話で
例えば瞑想中に隣のお寺でリーフブロワー使いだしたと
その時に瞑想中だと
なんだうるさいなやめろっていうふうに思うんですけど
でも自分がリーフブロワー使ってるときに
あの音って心地よいんですよね
あの爽快感があるっていうか
すごくなんかこの機械使ってる音って
自分が使ってるときってすごく満足感に変わるんですよね
でも同じ音なんですよね
だからどういうふうにそれを受け止めるかによって
同じ音だけど受け取り方が変わってくる
だからそのイラっとしてるな
でもそのイラっとしてるっていうのは音のせいなのか
それともそういうふうに自分が思ってるのかっていうふうに
やっぱりこう
なんだ焦点を変えてみる
そういう形の瞑想をやってもらうといいんじゃないか
だから瞑想って本当にそこで
理想は20分とか25分なんですけど
そういうことを頑張ってやってもらいたい
今よく3分とか5分でもいいですからっていう人がいるけど
もちろんそこから始めてもらっていいんですけど
そこで満足してもらうっていうのは一番よくないんですよね
3分5分だと落ち着いた気持ちいいなって終わっちゃうんで
本当の瞑想って落ち着いたってそっからなんですよ
落ち着いてそっからちゃんと観察してって
でも不快なものってどんどんどんどん出てくるから
でも不快と思ってるものって
本当は何なんだろうかっていうふうに見据えていく
そこが一番のポイントになってくるから
できればもう25分とか
20分25分をやってもらいたいなと思います

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